生活について

暑い日

  • 2025年11月08日
午前中はとにかく衣替えまくり。扇風機を洗って片付けて、ストーブとホットカーペットを引っ張り出してきた。掃除機も何回かけてまんねんというくらいに徹底的にガーガーやった。

昼過ぎに娘の誕生祝いにと、焼肉に行った。非常にたくさんの肉を食べた。綿菓子機も設置してあって、何回か綿あめを作った。子どもは最後にガチャガチャをやらせてもらっていた。

帰宅後妻と息子は買い物に出かけて、わたしは娘とゲーム。それぞれのswitchで、わたしは最近買ったポケモンZA、娘はあつまれどうぶつの森。ポケモンについてはアプリのゲームやアニメ、カードなどでともに人生を歩んできたイメージが強かったけれど、ゲーム機でやるゲームなると実は初代(緑)ぶり。というわけで、何もかもがすごくていちいち感動してしまう。野生のポケモンは自分の手持ちのポケモンに向かって攻撃してくるんだけど、たまに暴走したポケモン(目が赤く光ってる)は、ポケモンじゃなくてわたし自身を狙って攻撃してきてめちゃくちゃ怖い。

夜寝る前に息子が手の甲を見せてきて「なんか見える?」と聞くので何も見えませんが…と返答すると、ブラックライトを持ってきて自分の手の甲を照らした。

「鬼」という青い文字がピカーッと浮かんで、「鬼だね」というと「鬼」とだけ言ってターッと走っていった。

誕生日

  • 2025年11月06日
娘の生まれた日。「日本百低山」(小林泰彦)を読んだ。ヤスヒコさんの登った低山のうち百山を厳選して、スケッチとともに紹介されている。ヒルの出た山のことをヒル・クライムと綴ったり、携帯電話の着信音がパピプペポだったりと、チャーミングな文章が続いた。残念ながら現在は閉鎖された登山道などもあるみたい。

家に帰って食事をした後、家族で娘が生まれた日の写真を見てにこにこした。18時45分に生まれて、その日はひとりで家に帰って、嬉しくて眠れなくて、なぜか家中の服をタンスから出してキレイに畳み直したことを覚えている。あれから12年、まじで一瞬。たくさん笑って泣いて、すくすくと育ってくれました。

整形外科

  • 2025年11月04日
娘がしりもちをついて以来腰が痛いと訴えるので、それはいかんと整形外科に行った。整形外科には過去一回だけ行った事があって、背中が痛くて行ったら背中にバズーカ砲(ナインハルト・ズィーガーが右手につけてるやつ)みたいな機械を当てられてめちゃくちゃ恐怖した記憶がある。娘は一瞬で先生に呼ばれレントゲン室に吸い込まれていった。結果、骨にヒビは入っておらずひとまず安心。疲れたねえと労いあい、ファミリーマートでファミチキや肉まんを買って帰った。

「ヤクザときどきピアノ」(鈴木智彦)を読んだ。数年前に読んだ「サカナとヤクザ」の作者である鈴木氏が、50歳過ぎにしてピアノ教室に通い、発表会で演奏を披露するところまでが描かれている。そういう内容の本は以前にも見かけたことはあったけど、アウトローなライターならではの鋭利な文体とピアノ演奏とのギャップに痺れた。ピアノそのものの歴史的背景にも触れていて、例えばピアノが生まれた頃に活躍した演奏家は宮廷に呼ばれ、演奏による決闘が行われていた。出されたお題に対し即興演奏で勝負する。その伝説的なチャンプがバッハ。バッハといえば音楽の教室のうしろに肖像画が貼ってある、髪型がえげつない人という印象が強かったけど、そういう話を聞くと見え方も変わる。

まえがきのくくりに太字で書かれた鈴木氏の「残酷で理不尽な世の中を、楽しんで死ぬ」という言葉もグサグサくる。

ヤマハ音楽教室(大人の初心者向け個人レッスン)体験授業の申込みをしました。

6日目

  • 2025年10月25日
8時半にチェックアウト。空港までテクテク歩いた。飛行機は10時すぎ発なんだけど、まず鹿児島空港から9時半頃に到着予定の飛行機が無事屋久島空港に着陸しないことには帰れない。ということで、滑走路で飛行機がやってくるのを祈りながら待った。9時30分、9時40分を過ぎても飛行機は来ず、あああと思っていると来た!雲の中から飛行機がスッと姿を現したときはワーッ!となった。

その後はもう順調、12時半頃には家に帰れてね、そのまま子どもたちのスイミングの送り迎えもしたんですけどね、なんとね、わたしが屋久島を発った2時間後に大雨警報が解除されて、夕方には通行止めも解除されてね、明日以降は天気もよくてばりばり登山できるそうです!ちょうどわたしが滞在していた6日間だけ大雨警報と通行止め!オーマイガー!

5日目

  • 2025年10月24日
雨雨雨雨雨。明日は朝イチの便で大阪に帰るので、実質今日が屋久島で動ける最終日。

屋久杉自然館で登山バスのチケット払い戻し。自然館も見学し、2005年に雪の重みで折れてしまった縄文杉の大きな枝が展示してあったので、じっくりじっくり観察。

その後、屋久島唯一のチェーンハンバーガー店であるモスバーガー安房店へ。モスバーガーセットをパパパッと食べる。泊書店や土産店をまわる。ロケットの発射が26日の朝9時に決まったとのこと。

夕方レンタカーを返却し、空港から徒歩5分のペンション苺一笑にチェックイン。建物全体がスギの良い香りに包まれていて、部屋の布団や小物がイチゴ柄という、たまらなくかわいらしい宿だった。この旅の中で一番素敵な宿で、あまりにも良すぎてインスタに投稿した。その15分後くらいに宿のご主人から「インスタグラム見ましたよ」とお声がけいただき、心臓が飛び出るかと思った。読者の方がこのお宿のご親族らしく、わたしの投稿を見てすぐに連絡をしてくださったよう。

宿のお客はわたしひとりで、とても静かな夜を過ごした。寝ると旅が終わってしまうので、撮りためた写真を眺めながら夜ふかし。

明日も大雨だそうで、飛行機が無事飛び立つのかが心配。

4日目

  • 2025年10月23日
DOSSHA&BURYYY。TUKO&DOME。

屋久島町歴史民俗資料館に行き縄文土器を触って、そこからは主に南方面を観光。島の全スーパーに行き、じっくりと商品を観察。務めている会社の商品も置いてあったので、写真を撮り担当営業に送った。あとは島で唯一の書店である「泊書店」に行き、「湖畔の愛」(町田康)と「Dr.スランプ」(鳥山明)を購入。アラレちゃんは在庫分ぜんぶ購入したので、すみません、屋久島にアラレちゃんの在庫なくなりました。

その後、大川の滝に行く。道中はヤクシカやヤクザルがたくさんいて、まあヤクザルは道でのんびりしているだけなのでいいんだけど、ヤクシカは教習所のドライブシュミレーターかよというくらい突然横からピャッと飛び出してくるので、かわいいより怖いが勝った。あと借りてた車が最新式なのか、衝突センサーが過剰に反応するので、車も毎回ピーピー!と大騒ぎをするので賑やかだった。屋久島にはダランと垂れ下がった木や草がたくさんあって、それらにもいちいち反応してピー!と警告音が鳴るし、ひどいときは勝手に急ブレーキがかかるので、ずっと真顔だった。

大川の滝は連日の雨で増水していて、とんでもない迫力だった。その後、中間ガジュマルでパンとコーヒー。からの、温泉。同じくひとり旅中だという30代の男性と2時間ほど語り合った。お子さんがひとりいらっしゃって、年に一度こうやって一週間くらいひとり旅をしているんですということだった。おすすめの場所を聞くと、釧路ええですよとのこと。

宿は昨日に引き続きのノープライバシー&ノーセキュリティー宿。隣の部屋の御夫婦のご主人がブー!とオナラをしたときは部屋の障子がバリバリと震えていて、ちょっと笑ってしまった。

夕方SNSチェック、薄々そうでしょうねと思ってたけど、明日も大雨警報&通行止めにより登山バスは運休。ということで、この旅で登山ができる可能性はゼロになった。

さすがに気分が落ち込んだけど、夜中ふっと目が覚めて、干潮の前後2時間のみ入ることができる海中温泉まで車を走らせた。夜中2時ということで誰もおらず、露天風呂につかりながら見上げると満点の星空。肉眼でもすぐに分かるほどにオリオン座がはっきりと見えていて、さらに流れ星が2回落ちた。1回目は家族の健康を、2回目は縄文杉に次回は会わせてほしいと願った。

宿に戻ったのが3時過ぎ。

3日目

  • 2025年10月22日
6時の町内放送でお目覚め。今日も安定の土砂降り。大雨により通行止めになった道が2つ発生。もともと屋久島には道が全然ないので、必然的に外周の道路しか残されていない状態になった。もうこうなるとマリオカートのように、グルグルと島を何周もするしかなくなる。今日はとりあえず土産を全部買ってしまうことにする。

愛子マートで焼酎「愛子」を買って、いくつかの土産店でもろもろを購入。段ボールに詰めて、一足先にヤマト便で大阪に発送した。

屋久島環境文化村センターを見学し、シアターで屋久島についてのショートムービーを観る。海からの強い風によって運ばれた水蒸気がそのまま山を駆け上がり、山の上らへんで冷えて雲になり雨が降る、そしてその雨が水となり川を流れまた海に戻る、というサイクルを繰り返している。命だ、と思いながら観た。ちなみにこの施設にあった機械で屋久島クイズをやったら全問正解で、「屋久島博士」の称号と記念バッジを頂いた。

「すばらしい」という素晴らしい店名のネパールカレーの店でチキンカレーを食べて、志戸子ガジュマル公園まで。海が荒れ狂っており、東映のオープニングだった。

夕方、今宵の宿Nにチェックイン。深く調べずに予約したのだけど、なんというか完全におばあちゃんの家だった。部屋に扉はなく、廊下と部屋を隔てるものは障子一枚のみ。しかも隣の部屋とは襖一枚で区切られているという、プライバシーもセキュリティーもそもそも概念として存在しない刺激的な民宿だった。

夕方SNSをチェック。変わらず道路は通行止め&明日も大雨警報で登山バスは運休。いよいよ登山ができないかもという焦りもあり、5日間の滞在予定を1日延長する。飛行機のチケットも取り直した。

2日目

  • 2025年10月21日
6時の町内放送で目が覚める。朝食をいただき、大雨の中まずはヤクスギランドに行った。カッパを着ていたものの、頭の全箇所を高橋名人に連打されているかのような痛みをともなう雨粒だった。16連写豪雨。災害レベルの雨の中、景色を楽しむ余裕もあまりなくサササと回った。

その後、千尋の滝へ。こちらも雨がすごいタイミングだったので誰も来ておらず、そのおかげで雄大な景色を心置きなく独り占めできた。視界いっぱいに広がる大きな滝や川、これらが一枚岩でできている。

昼前、今日お世話になる民宿Pより電話。まだ食べていないものを夕食にお出ししたいので屋久島に来てから食べたものを教えてくださいとのことだった。まさかそんなおもてなしをしていただけるとは思っていなかったので、屋久島ええ島…と思った。

お昼は「ショッピングセンターばんちゃん」で菓子パンを買って食べた。夕方にコインランドリーで洗濯。現地の方となんやかんやと話をしていたので、あっという間に終わった。

その後チェックインして、SNSをチェック。明日も大雨警報につき登山バスは運休とのこと。もともと縄文杉に行ってテント場でテント泊する予定だったので、急遽明日宿泊する宿を手配。

屋久島初日

  • 2025年10月20日
伊丹発7時5分発の飛行機に乗る。鹿児島で乗り換えて9時25分に到着、の予定が屋久島に着陸できず、11時すぎに鹿児島空港へ戻った。混乱する乗客は事務的に出口まで案内され、あとはみなさん勝手にがんばっておくなはれ方式で放り出された。後ろを振り向くと、芸人のYさんがいた。東京から鹿児島、鹿児島から乗り継ぎで屋久島を目指していたそう。

とりあえず急いでバスに乗って鹿児島港に移動、そこのレストランでベチャベチャのおかゆみたいなチャーハンを食べて、トッピー(高速船)で屋久島を目指した。屋久島に到着し(芸人Yさんも一緒だった)、レンタカーを受け取ったのが17時過ぎ。ロケットの発射延期が発表されたので種子島には移動せず、そのまま民宿Nにチェックイン。主人に教えていただいた「いその香り」にて寿司を食べる。タカエビ・アカバラ・アオホタ・トビウオ・秋タロー。どれも口の中で溶けてゆき、一瞬で胃袋に消えた。

近くの「ショッピングセンターばんちゃん」で登山用の食事もろもろ買い出し。民宿Nに戻って、お風呂。「屋久島に大雨警報が出ています」という町内放送が聞こえてくる。

SNSを確認すると、荒川登山口行きのバスは明日運休とのこと。

21時過ぎ就寝。

いよいよ

  • 2025年10月17日
一週間すんません、迷惑かけます、えへへ、屋久島行ってきますねん、と関係各位に挨拶して退社。帰りにヨドバシカメラに寄って、三脚とグローブを購入。いよいよフル装備。それにしても今月のクレジットカードの引き落としは、夢かなというような金額が引き落とされていた。夢が覚めたら、また勤労に励みます。

「はやぶさを育んだ50年」(的川泰宣)を読んだ。JAXAの本ということもあってか、本のたたずまいはとてもシンプルで教科書みたいな感じ。アメリカ等にやや遅れて宇宙科学の世界に参入した日本が、50年の間にいかにして世界トップまで上り詰めてきたかが、とても分かりやすくまとめられている。

1950年代、道川でのペンシルロケット打ち上げ前夜。突如爆発音が鳴り一同が慌てて飛び出すと、実はロケットではなく魔法瓶が破裂した音だった。当時は魔法瓶も今のように安全ではなかったらしい。他にも宇宙科学のことだけではなく、発射地の地域住民とのトラブルがいかにして解消されたかなども、具体的なエピソードを交えて書かれている。

紆余曲折を経て、初の人工衛星投入に成功したのが1970年2月。ここから日本はついに、世界的な宇宙開発国となる。2010年に帰還した「はやぶさ」は、月以外の天体で着陸と離陸に成功した世界で初めての探査機となった。当時「はやぶさ」の映画をやっていて、はやぶさが「ぼくはここにいるよ」とつぶやいているようなシーンが予告であって、「しゃべっとる!」となった記憶がある。

こうしてJAXAのシンポジウムに参加したり本を読んだりした今改めて、約2ヶ月前はさっぱりわかんなかったH3ロケットの「打ち上げ計画書」を読むと、スルスルーと理解できたので興奮。

もろもろ準備万端なのはいいけど、来週天気がグズグズらしくてロケットの発射が延期になるかもとのこと…。

ゼブン

  • 2025年10月13日
連休最終日は夕方に子らと塊になって自転車で平和堂に行った。ゲームセンターの両替機で1,000円札を100円玉に両替し、双方に400円ずつ渡すとワー!と散った。(残りの200円でわたしはガチャガチャをするつもりだった)

しばらくすると娘が「今日はええのないわ」と戻ってきて、2人で歩いていると遠くで米粒ほどの大きさの息子が一生懸命UFOキャッチャーに挑んでいる様子が見える。「ありゃ取れないね」「ゲームセンターのUFOキャッチャーは信用ならんね」と言いながら見守っていると、あれっ、えっ、あれ取れるんじゃね、あっ、取ったー!となり、走って息子のもとに行き、2人で抱きしめた。

息子は「最初の100円で取れた」とにこにこしていて、すごいね、これはどうやって遊ぶものかな、としばらく3人でにこにこした。

その後は本屋と雑貨屋をまわり、最後に娘がコスメコーナーでかわいらしいコスメをじっくり鑑賞した後、自転車で帰宅。途中ブランコのある公園に行き、ひとしきり遊んだ。

夜はあんまりおなかすいてないねと玉子焼きと中華スープ、冷凍のからあげと納豆でしっぽり。21時から今日好きを観て、息子がETの声で「ケイゾクデキマシタ。イーティーデェス」と言うので大笑いして、笑いすぎてオナラが出て、一瞬不穏な空気になった。

放送後のインスタライブでゼブンさんがわたしのコメントに丁寧に回答してくれて、みんなでずっと応援しようね、と誓い合いながら就寝。

ET

  • 2025年10月12日
3連休。しょっぱな2日間は連続で資格更新の講習。普段使わない顔面の筋肉をフル稼働させたので、顔の調子がおかしくなった。なんとかこれで更新講習はおしまい。

2日目夕方、家族で万博おゆばへ。帰宅後、息子とETを観た。何故?というタイミングでいきなりETが瀕死になるくだりがあり、原因について息子と議論。息子はETが風邪をひいたか何かで病気になった説を唱えておいて、わたしは地球の環境に適応できなかったのではないかという話をした。「ET 瀕死 何故」で検索すると、これはネットでも議論されており、川にミスって落ちた結果低体温症になったとか、エリオット(主人公のおぼこい少年)とETがシンクロした結果、エリオット(おぼこい)がひいた風邪がETにも波及したのではないかとか、地球の重力がET的に非常に厳しかったのではないかという説もあった。

まあ、なんにせよETが無事でよかったねという話で終わった。

ニシクラタカシ

  • 2025年10月11日
息子が突然「ニシクラタカシすぎる」と連呼するので誰?と思っていたら、仮面ライダーエグゼイドで鏡飛彩が言い放つ「リスクが高すぎる」というセリフの耳コピだった。いろいろあるセリフの中でなぜそのフレーズに惹かれたのか、とても興味がある。謎の人物ニシクラタカシ。

DUNLOPのツーリングテントMTD-203を購入。近年のテントにはないエッジの効いた見た目が好きでずっと探してたやつ。80年代のものにしてはとてもきれいで、いかに前の所有者に大切にされてきたかが分かる。ショックコードが伸び伸びだったのでそれだけ交換した。お試しで設営してみたけど、思ってたよりずっと大きい。早くキャンプで使いたい。

「OSO18を追え」(藤本靖)を読んだ。怪物ヒグマとして多くの牛を屠ってきたOSO18をいかにして追いつめていったのか、対策班のリーダーである藤本氏の言葉で克明に綴られている。

クマの「止め足」に触れた箇所は、怖くて震えた。クマは狩猟者などに後ろを付けられていると悟ったときに、自分の足跡を踏みながら後退してサッと横にある茂みなどに隠れるそう。そうして後ろから来た追跡者が、足跡がパタリとやんだことに戸惑っているところに襲いかかる。これを「止め足」という。熟練のハンターでも止め足に気づくことは至難である。ハンターの赤石氏がクマの止め足に気づき「こいつ止め足切ったな」と気付き冷静に対処するくだりがある。

クマは本来8~9割は木の実や山菜などの植物性のものを食べ、残りはアリやハチなどの昆虫類、サケなどを食べている。それを何かしらのきっかけで肉を食べたことによりその味を覚え、牛などを襲うようになってしまうそう。つまり遺伝的要素ではなく、環境的要素によって肉食のクマが生まれる。OSO18の場合は、猟師が刈ったエゾシカを不法投棄(本来は自分の手で解体したり処分場に持っていく必要がある)した場所で肉の味を覚えてしまったのではないかと推察されていた。つまり、人のせいで生まれてしまった「怪物」であり、それを知った上で読み進めていくうちになんともいえない気持ちになってしまう。

カウントダウン企画

  • 2025年10月06日
南種子町宇宙開発推進協力会のH3ロケットカウントダウン企画、イラスト担当日だった。すっかり忘れて、ぶりんぶりんと一日仕事と戦っていた。南種子町役場のFacebookにて「このカウントダウンは南種子町役場やトンミー市場などの館内モニタでも放映されています。」と捕捉されていた。現地で見てみたかったな。

「宇宙に挑むJAXAの仕事術」(宇宙航空研究開発機構)を読んだ。

他国や様々な部署・機関と関わる必要がある最高機関ならではの崇高な仕事術っぷりで、へー、とか、ほー、としか言いようがなかった。宇宙飛行士は分単位でミッションがスケジューリングされており、多くの国や機関と調整しながら決められているそう。ピタゴラスイッチの宇宙ピタゴラ装置の企画をそこにどうやってねじ込んだのか、個人的には気になる。(担当の宇宙飛行士は星出彰彦氏で、見事にピタゴラ装置を完成させていた)

訓練

  • 2025年10月04日
雨。雨雨。ということで、トレッキングに行く際の服と靴を装備して、撥水性を確かめるべく2時間ほど歩いた。本番を想定し、砂利道や森の中、ちょっとした坂道を積極的に歩いた。濡れた落ち葉の上を歩くとヌルッと滑ったので、これは気を付けなければいけない。2時間で7,000歩ほど歩いた。帰宅後、娘が散歩に行きたいというのでさらにメモンポ。

妻は仕事。子のスイミングの時間はちょうど雨もやんで、3人でひとつの塊になって自転車で往復。100均で思い思いの大切なものを購入し、晩御飯はカレーライス。

ネコロボット

  • 2025年10月03日
ガストに行くと、ネコ型配膳ロボットのタイヤの調子が悪いらしく、ギギィィーッ!ギャァアアア!と絶叫のような摩擦音を轟かせながら配膳してくれた。ネバとろサラダうどんを掻き込みながらふと、あれはタイヤの音ではなくもしかするとロボットの魂の叫びだったのかもしれない。わたしへのメッセージであったのに、それを見逃していたのかもしれない。と、ハッとした。

振り向くとキッチン入り口で待機中のネコロボットと目が合って、すこしだけ戦慄しました。

にっちょうび

  • 2025年09月28日
H3ロケットの恵美之江展望公園での観覧抽選、あえなく落選。噂によると倍率は800倍以上らしい。えげつな。

2日連続で娘と朝さんぽ。1時間ほど、ああだこうだと話をしながら歩いた。20年後とかのふとした瞬間に思い出すような、メモンポ(メモリアルサンポの略)だった。

寝室にて、真っ暗な天井を眺めながら娘が「死」についてポツポツと語っていた。「死ぬことは怖くないけれど、とても不思議」という趣旨だった。死んだ瞬間これまでの記憶はどこに行ってしまうのか、前世ではこの家族とどういう繋がりがあったのか、もしお父さんやお母さんが死んだら、次はどのような形で会えるのか。そういうことを考えだすとグルグルする、と呟いてスーッと寝た。

「怪異十三」(三津田十三)を読んだ。三津田氏が国内外から厳選した13作の怪談を集めたアンソロジー。フワッと投げっぱなしで終わる話もあって、ンンッ?と冒頭から読み返す必要のあるものもあった。個人的には菊地秀行「茂助に関わる談合」と丘美丈二郎「佐門谷」がぶっちぎりで好きな(背筋がゾーッとする)終わり方。

季節もようやく秋めいてきたので怪談を読むのはそろそろおしまい。また次の夏に。

JAXA

  • 2025年09月19日
定時退社からの全力疾走で大阪梅田へ。大阪工業大学梅田キャンパスにて、JAXAのシンポジウム。576席のホールはほぼ埋まっている。静かな熱気とともに18時スタート。

まず冒頭でJAXA理事長の挨拶。急遽会場に来られなくなったとのことで、中継で挨拶をされたのだけど、背景があまりに無機質過ぎてジャミロクワイのPVの部屋だった。

NHK高瀬アナウンサーの司会により各講演が始まる。講演→高瀬アナウンサーとのフリートークという流れのセッションが6つ。

まず冒頭登壇されたのはJAXA副理事長の渡辺氏。これまでの宇宙開発の歴史とJAXAの概要、ここ一年のプロジェクトについて。宇宙開発は今年で70年を迎え、JAXAは1,600名ほどの職員を抱えて様々なミッションに挑んでいる。日本は世界で4番目にロケットの打ち上げに成功した国であり、その精度(打ち上げ成功率やオンタイム率)は世界でも上位だそう。宇宙科学と我々の生活とのかかわりなども分かりやすくお話されていた。

次いで登壇されたのはH3ロケットのプロジェクトマネージャーである有田氏。ロケット開発は、倣い(ならい)の時代→学びの時代→巣立ちの時代→成長の時代を経て、成熟の時代を迎えている。H2ロケットの13号機から民間が参入し、現在は三菱重工がロケットを製作している。H2の後継であるH3ロケットは大幅なコストダウンを達成し、その一助を担っているのが3Dプリンタだそう。来月打ち上げ予定(見に行くやつ)のH3ロケット7号機は固体ロケットブースターを4本搭載する大型機。フェアリングという、衛星機などを積み込むロケット先端部にレイトアクセスドアという発射直前まで開け閉めできる扉が設置されており、生物を宇宙に送ることも可能になった。

ちなみにロケットの名称詳細「H3-◯△◇」について◯は搭載されているLE-9エンジンの数で、△は固体ロケットブースターの本数で、◇はフェアリングのサイズ(S:ショート、L:ロング、W:ワイド)を表しているとのこと。今回の7号機についてはH3-24Wで、H3ロケットとしては極めて打ち上げ能力の高いものだそう。

次いで登壇されたのは、今回H3ロケットに搭載される補給機HTV-Xのプロジェクトマネージャーである伊藤氏。今回がHTV-Xの初号機にあたり、この補給機はISS(宇宙ステーション)への物資輸送と宇宙技術の獲得の2つの役割を担うものとして今後が期待されている。重量は16トンあり、うち物資(食料なども含む)が6トンほど。今回レイトアクセスドアがあるので、果物なんかも送れるようになった、季節ものの美味しい果物を送りたいとおっしゃっていた。

打ち上げ後4日ほどで地球から約400km離れたISSに到着。ISSの直近10mまで自動運転で近づき、そこからはISS側がロボットアームで当機を捕捉する流れ。物資を補給し、ISSのゴミを回収し、その後いくつかのミッションをこなした上で地球に再突入して最終的には燃え尽きる。ちなみに物資保管スペースは地球と温度や空気などの環境を同じにしているので、技術的には人間を入れて宇宙に送り出すこともできるそう。

次いで登壇されたのは現役宇宙飛行士の金井氏。宇宙に行って9cmも身長が伸びて、そのことを嬉々としてツイートしたら、後々身長がまったく伸びてなかったことが判明した、勘違いだった、というお話で会場がドッと湧いた。高瀬アナウンサーの「宇宙飛行士の選抜試験を通ったタイミングか実際に宇宙に行ったタイミングか、どちらのタイミングで宇宙飛行士と認定されるのか」という質問については、宇宙飛行士の選抜試験に突破した後に様々な訓練を受け、「宇宙飛行士」の免許を発行された時点で宇宙飛行士ですと答えていらした。免許を取ってまだ宇宙に行ってないうちは仮免許のような感覚、ともおっしゃっていた。また将来的に宇宙に様々な人が行き来しやすくなる時代が来るので、その時に宇宙飛行士の概念も大きく変わるという話をしていらした。

次いで登壇されたのはMMX(火星衛星探査計画)プロジェクトマネージャーの川勝氏。火星の衛星フォボスから地表サンプルを持ち帰るべくプロジェクトを推進されていて、来秋打ち上げ予定のロケットに探査機が搭載予定とのこと。

最終登壇されたのは、はやぶさ2拡張プロジェクトリーダーの三枡氏とプラネタリーディフェンス長の吉川氏。本来の任務を終えたはやぶさ2がまだ動くということで、ボーナスタイムで様々なリスクの高いミッションに挑戦されている。興奮気味に話す三枡氏がとても生き生きしていたのが印象的だった。プラネタリーディフェンスは、たとえばある星が地球に衝突するとなった時いかに地球を防衛するかを考えるプロジェクトで、実際にNASAは小惑星に意図的に衛星を衝突させて軌道を変える実験を2021年に行ったとのこと。

すべての登壇者の話されている内容、もう全部が全部知らんかったことすぎて興奮しっぱなしの3時間。ロケットに対する解像度がありえないほどに高まった。参加してよかった。隣りに座っていた小学校低学年くらいの少年も「宇宙日記」と表紙に書いたノートを持参しており、熱心にメモをとっていた。

最後には記念品のH2ロケットのキーホルダーまでいただいてしまい、ここまでしていただいたからには、ロケットの打ち上げを戸愚呂120%くらいの熱量で見守ることを決意。

春日

  • 2025年09月16日
7時半京都府某所集合。エキストラ。撮影は昼過ぎまでの予定だったので、昼からどこに行こうかしらん、せっかく京都にいるし河井寬次郎記念館なんていいわねなどとワキワキで撮影に臨んだ。結局終わったのは22時過ぎ。ギャラにポテトチップス(しば漬け味)をいただいた。

昼と夕方をまたいだので、撮影所の食堂で定食をいただいた。食堂の利用が初めてだったので、いろいろとルールを教わった。味噌汁が衝撃的な美味しさだったのに他のキャストはそのことに誰も言及しておらず、黙々と食べていらした。味噌汁好きの娘に食べさせてやりてえなあと思いながら、細胞ひとつひとつに染み渡らせた。

今回は現代劇で自分の役柄は相当のエリートな人で、エリート感を演出するためにいろいろと工夫をした。振り向くときなどは背筋をビッと伸ばし胸を張って、顔だけをシュッとそちらに向ける。

家に帰って鏡の前で再現してみたら、完全にオードリーの春日。

オードリーの春日みたいな動きをするおっさんが出演するドラマは来年放送予定だそうです。

※ワキワキ=郷ひろみが2001年にリリースした「ワキワキマイフレンド」で初めて知った言葉(概念)で、80年代に流行った造語らしい。ウキウキとワクワクが合わさった意味だそうです。

ビキビキビッキーズ

  • 2025年09月13日
土曜出勤。休憩中携帯電話に見知らぬ番号から電話があり、10月に予約している屋久島と種子島間を行き来する高速船の管理会社からだった。出船時間と、発着の漁港が変更になったとのこと。あとはこちらで手続きやっときますんで~という話だったけど、エビデンスが何もないので不安。いざ当日になって「チケット取れてませんけど…?」みたいになったらどうしよう。泣き叫びながら海を泳いで種子島を目指すしかないやつ。

今日好きの新シーズン(マカオ編)の放送が延期になるとのこと。娘も把握していて、なんか炎上しているみたいねという話をした。

「新・教場」(長岡弘樹)を読んだ。来年公開される映画の原作。小説に出てくる風間教官は、実写のときよりもまろやかな気がするなあ。これが映画になると、今すぐ警察学校やめろ恐怖キムタク教官になるのかしら。

それはさておき、作中で人間の体が消費するエネルギーの順序が糖質→脂質→タンパク質であることを知った。それはつまりわたしの豊満な肉体にも関係する話で、ふだん糖質を摂りすぎているがため、日々燃焼するエネルギーが脂質のところまでいかないのでは説ありますよね。糖質をグッと抑えたら、脂質から燃焼していく、つまりビキビキの肉体に近づく。

ビキビキの肉体ならもう、屋久島から種子島まで100km泳げますよね。安心ですよね。

  • 2025年09月12日
午後からお休みをいただき、全力疾走。子らの参観。息子は保健、娘は謎解きゲームの授業。授業後、息子がプラモデルを買いに行きたいのでついてきほしいと言うので、ジョーシンまで。30分ほど悩んで、お小遣いで黒いレックウザのプラモデルを買っていた。自分の財布から小さく折りたたまれたお札を取り出して差し出す姿から溢れ出す緊張と興奮を己のまぶたに焼き付けた。プラモデルを抱きしめる息子を駐輪場で撮影。

晩ごはんはカレーをつくった。

「ユーモアの鎖国」(石垣りん)・「植村直己の冒険学校」(植村直己)を読んだ。

石垣りんは定年まで銀行に勤め上げながら、詩人として活躍された方。エッセイの紡ぎ方もそれはそれは素晴らしいものだった。「花嫁」「朝のあかり」「宿借り」あたりが特にギュンギュンした。「宿借り」では、女性が持つハンドバッグのことを「ちいさなちいさな家」と表現していらした。わたしはいつもキャンプのときには自宅にある好きなものをああじゃこうじゃと持ち込んで小さな自分の部屋をつくるので、そういう感じなのかな。

幼い頃に母を失ったことを振り返り「過去があって現在があるように、ないことによってあるものが支えられている」と綴っている。

植村直己の冒険記は、豪胆そのもの。とても真似できるものではないけれど、読み進めるうちに冒険している情景がありありと浮かんでくる。北極の氷上を犬ぞりで駆け抜ける自分の姿を想像した。それいけ!と犬たちに声をかけて全力で無視され立ち往生するさまが予想できて怖い。

今日好き

  • 2025年09月10日
今日好き最終回。最推しであるせりくんとひなさんについては、ひなさんがせりくんの告白を断り、まさかの不成立だった。この展開は予想していなかったので放送時はなんで!という思いしかなくモヤモヤしたけれど、放送後インスタグラムにひなさんが投稿した文章で、17歳の彼女が様々な葛藤を繰り返し苦しみながら導き出した答えだと理解し、すべて納得した。ふたりとも幸せな未来を生きてほしいと願う。ジジイの切なる願い。


「今回の旅では、何度も何度も真剣に自分自身と向き合いましたが、どうしても答えを出すことができませんでした。私が迷いを抱えたままお付き合いする事を選ぶのは相手の方にも失礼だと思いました。」
「私の気持ちにいつも寄り添ってくれた事、沢山笑顔にさせてくれた事、一緒に過ごす時間があっという間に感じてしまうくらい何気ない瞬間も私はこの旅を心から幸せだなと思えました。それ以上に出会えたことに感謝しています。本当にありがとう。」
(@長浜 広奈 https://www.instagram.com/hinak.o0619/ 9月10日の投稿より抜粋)


それに対する視聴者のコメントでグッときたもの。

「凄くいい人なのになんか違うかも、っていうのは大人の恋愛にもよくある事で、そのモヤモヤした気持ちに蓋をして「この人なら幸せにしてくれるから」ってお付き合いする人も少なくないです。17歳の女の子が迷う気持ちをそのままにせず、告白しないという決断をできたこと、素晴らしいと思います。」

病院

  • 2025年09月02日
7時半に病院の予約。1秒で予約したけど順番は6番目だった。8時半に行き、9時前には診察終わる。午前中は寝てもらって、娘は昼くらいから元気を取り戻しつつあったので、一緒に昨日の今日好きを観た。

せりくんがサプライズでひなさんに告白するという回だった。今シーズン始まってから今までのひなさんとの些細なやりとり、アピールタイムでの演出、そして皆が見ている目の前での告白。これ以上ないほどにロマンチックな言葉を差し出すせりくんに、勝手に舞い上がってブヒ泣きしていたら、なんとひなさんは返事を保留に。しかしひなさんの振り絞るように紡ぐ言葉ひとつひとつがこれまた尊くて、本当にブヒ泣きジジイはどうしたらよいのか分かりません。来週最終回です。

ちなみに今回もうひとりサプライズで告白した男性がいて、いおうさんというボディビルダーの日本チャンピオン男子なんですけど、ひなのさんという女性のファンすぎて、思いを伝える際にも少々舞い上がったセリフが多いなと気になっていたら、振られてしまっていた。そんないおうさんのことを一途にずっと思っているすみれさんという女性がいて、この方はいおうさんのひなのさんへの思いを知ってしまい自らの恋を諦めてしまうんだけど、そのあたりのやりとりももう、ブヒ泣きジジイを泣かせるものだっった。

とまあこんな感じで今日好きを観ている時はいつもブヒ泣きジジイなんですけど、毎回視聴後に興奮状態で感想を放り投げるわたしの話を、娘はぜんぶちゃんと聞いてくれる。やさしい。(娘の優しさにもブヒ泣き)

息子が、将来ゲームクリエイターを目指していたけどやっぱり手品師を目指そうと思う、とこっそり教えてくれた。

諭吉Bye Bye

  • 2025年09月01日
9月1日。種子島のレンタルバイク屋さんに電話して原付きを予約、これにて今回のひとり旅の予約もろもろは完了。H3ロケット7号機のカウントダウン作品募集に応募。速攻でイラストを描いて入稿。ロケットの発射を間近で見られる恵美之江展望公園の入場抽選に応募。

アンダーアーマーのベースレイヤー、XLサイズが届いたので着てみる。ブカブカだろうと思ってたけど、XLでもちょっとアナコンダ。今回は感情が穏やかなアナコンダなのでだいぶマシ。なので、これを着てゆく。トレイルシューズはKEENのミドルカットのやつにした。普段は25.5cmの靴を履いているけど、厚手の靴下を履くので27cmサイズでちょうどいい感じだった。追加で買ったのがカリマーcleave30(リュック)、NEMOのスリーピングマット、NANGAの寝袋、テントはDUNLOPの中古品。とにかく諭吉が気持ちいいほどに吹き飛んでいく。なので同時進行で自宅の不用品をメルカリに出品しまくり、お値下げ交渉にも応じまくり、迅速かつ丁寧に対応しまくり。

今日はリアルタイムで観ている今日好き2025夏休み編の放送日だけど、一緒に観ている娘が発熱のため観ず。治ったら一緒に見ようぜということで、ネタバレ防止のため一切のSNSを遮断。

息子とお互いのほっぺたをフニフニしあってから就寝。

今日好き

  • 2025年08月31日
「今日好き」のファンミーティングが昨日と今日の2日間、堺のイオンで開催されている。という話を娘から聞いて、行きたかった、せりくんに会いたかった、とワーワー騒ぎながら寝たら夢の中にせりくんが出てきた。ファンミーティングでせりくんに会い、「めちゃくちゃファンです。めちゃくちゃ応援しています」と伝えると、せりくんは実に気まずそうな顔で「ありがとうございます…」と言い、あっ、と思った。10代の若者に気を遣わせてしまった、こんなおじさんに応援されてもうれしくないよね、本当にごめんなさい、とブヒブヒ泣きながら、娘に背中をさすられながら帰宅するという、実に純度の高い悪夢。ファンミ行かなくてよかったのかも。

トレッキング時の服装については「レイヤリング」といって、重ね着が推奨されている。その最も肌に近いベースレイヤーに、アンダーアーマーの服を買った。Mサイズを購入し、着てみると死ぬほどきつくて、えっもしかして知らん間にアナコンダが本気で全身を締め付けにきてる?全身の骨を粉砕しようとしてる?と思った。ボディラインも、これでもかというくらいピタピタで、妻は大爆笑していた。改めて、XLサイズを購入。自分の服のチョイスにXLがくる日を想定していなかったので、切ないほどに動揺する。アナコンダで頑張った方がよかったのかな。ちなみにミドルレイヤーとアウターレイヤーはモンベルのええやつを買った。

朝から家族で塊になって移動。アニメイトや大型書店に行き、思い思いの品を購入した。

寝る前に今日好きのニュージーランド編の最終回を娘と観る。せりくんが告白するも、フラレてしまう回だった。画面の向こう側でせりくんは泣いていて、胸がグオーとなる。

興奮したまま寝ました。

ロケット

  • 2025年08月27日
JAXAが10月に発射するロケットの特設サイトをアップしていたので、当該ロケットの「打ち上げ計画書」PDFをダウンロード。ふむふむ、なるほど。全然意味分からん。ということで、ロケットもろもろについて学ぼうという強い意志が生まれる。9月に梅田で開催されるJAXAのシンポジウムを予約。JAXAのサイトより「JAXA H3ロケットFACT BOOK」をダウンロード。これはめちゃくちゃ分かりやすかった。

気分が高まってきたので「打ち上げ計画書」に実施体制として書かれていた組織図に一本ピュッと線を足して、「打ち上げ見守り事業部(大阪支部) 部長」という肩書と自分の名前を記入。

屋久島トレッキングについてはAIにあれこれ相談しながら計画中。

鳥取家族旅行

  • 2025年08月23日
鳥取旅行。朝洗濯物を取り込んで、とりあえず出発。途中何カ所かサービスエリアに立ち寄って昼過ぎに鳥取到着。砂丘で2班に分かれ、わたしと息子は食堂でラーメンとカレーライス。妻と娘はカフェでランチ。合流後、おみやげをピャッと購入して浦富海岸まで。16時半頃まで3時間ほど泳いだ。

海は透明で遠浅。泳いでいる魚をつかまえるべく、家族一丸となって追いかけたものの、やはり一匹もつかまえられず。小さなカニを何匹か捕獲したのと、サザエが2匹。(いずれも最後は海に戻した)

砂浜そばにある民宿で泊まった。女将の声が消え入りそうなほど小さな声だった。ここはアニメ「Free!」の聖地だそうで、ポストカードをくださる。晩御飯は海鮮の網焼きでどれもこれも最高に美味い。

食後、妻は「散歩に出てくる」と闇の中に消えてゆき、わたしは娘と「今日好き」の続きを鑑賞。息子はテレビで手品師の番組を熱心に観ていた。妻が帰ってきたのでお風呂に交替で入り、22時頃就寝。

翌朝は5時半頃に息子と目を覚まし、海釣り。2時間ほど粘ったけど釣れず。とはいえ息子の釣り竿さばきもたいしたもので、タイミングさえあれば釣れそう。

8時から朝食、チェックアウトして砂像美術館に行った。近くで梨を買い、そこからエッチラオッチラ寄り道をしながらゆっくり帰り、赤松SAで昼ごはん。15時半頃帰宅。

子らは明日始業式ということで、夏休み最後の思い出でした。

屋久島・種子島

  • 2025年08月22日
会社の勤続20周年ということで、5日間の休みをいただけることになった。たいした功績も残しておらず、あと一日なんとかがんばってみよう、もう一日だけがんばってみようの積み重ねで20年。なかなか感慨深いものがある。

さて5日間の休み。妻は仕事があるし子ども達も学校があるということで、ひとりで自由にしてみたら?と言ってくれた。となると幼いころから漠然と夢に抱いていた「ロケットの発射に立ち会う」を実現したいのと、10年以上前に親友のTと行って大雪のため敗退した屋久島の縄文杉トレッキングに再挑戦したい。ロケットの打ち上げ日時次第で旅程が決まるので毎日JAXAのプレスリリースを見守った。

そして本日JAXAが次回のロケット発射日時を発表。それに伴い、すみやかに旅程を立て各種チケットを手配。発射予定は10月21日10時58分とのこと。

行き帰りの飛行機のチケット、レンタカー、屋久島~種子島間の往復フェリーチケット、宿、OK。あとは種子島のレンタルバイクだけだけど、これは9月1日からしか受け付けていないとのこと。電話したときに開口一番「ロケットですか?」と聞かれたので、「ロケットです!」と元気よく答えた。

今日好きソウル編

  • 2025年08月21日
「今日好き」ソウル編が、良すぎて良すぎて。

不器用なさとるさんが、のあさん(辻希美の娘)にひたすらまっすぐに愛を伝え、その気持ちに応えられないのあさんが自責の念にかられて泣いてしまうシーンで大号泣してしまった。他にも前シーズンでひと悶着あったたくやさんとはるなさんの駆け引きも良かったし、推しのせりさんの立ち振る舞いにウットリ。せりさんは女性にいつだって優しい言葉をかけてくれる。とても優秀なカウンセラーになれると思う。

というわけで、過去シーズンを凄まじい勢いで遡って観てます。

「おしまいの日」(新井素子)を読んだ。夫に依存する妻が、徐々に狂っていくさまを描いたサイコホラー小説。サイコホラーというだけあって、気持ちの良いものではなかった。日記形式と文章形式が交互に書かれていて、その文章形式というのが妙に脚本チックだったので何かの伏線かと思ったけど、普通にそういう文章の書き方らしかった。

30年前に発刊されたものらしく、文庫化にあたって追加のあとがきがあった。

あくあぴあ芥川

  • 2025年08月16日
妻は本日も仕事につき、娘・息子と3人であくあぴあ芥川に行った。ここは地下1Fでたまに木工体験ができる日があって、大量の木の枝や実を使って自由に工作することができる。何度か利用したことがあって、毎回たのしい。30分という制限時間の中、素材を俯瞰し何を作るか決断し、すぐに手を動かす。なんというか、料理の鉄人的な感じがする。当然ながらわたしも毎回本気。

息子はいつも素材を見てから何を作るか決める傾向にあり、その場でテーマを即断して手を動かすのも早い。娘は何を作るかもともと決めていき、それにあった素材を探しながらじっくりと形にしていく。

息子はロブスター、娘はねこ(きつね?)、わたしはわけのわからない得体のしれないものをそれぞれつくり、家路へ。

途中立ち寄ったコーナンでブルーベリーの苗を買った。

家に帰って布団を干したり掃除機をガーガーやったりして、夕方ブルーベリーの植え替えをする。娘と息子も手伝ってくれて、なんというか、このブルーベリーはこの先この家族にとってとても大切な存在になる気がしている。

21時よりNHKドラマ「シミュレーション」放送。3月に撮影があったやつで、実働5分だった。放送では後頭部が1秒ほど映っていた。書類を受け取ってスタコラ歩くシーンはカットされていた。

箕面

  • 2025年08月15日
妻は仕事、娘は友人とプールへ。わたしは息子と箕面公園昆虫館まで。駐車場から20分ほど歩いたところにあったけど、木々で光が遮られていて思ったほど暑くなかった。突然謎のおじいさんにオイ!と呼び止められて、??と近づくと、「カニおるど!」とビッと川の方を指さしておられて、見ると本当にカニがいてオーッ!となった。カニの種類を尋ねるとすでにおじいさんは5mほど遠くにいたけど「モズクガニ!」と叫んで答えてくださった。息子とカニだねーと言いながらすこし歩いてもう一度振り向くと、もうおじいさんはいなかった。カニの妖精?

昆虫館をさらに奥に進むと箕面の滝があって、たくさんの人がそこを目指して歩いているようだった。わたし達だけ列をピャッと抜けて昆虫館に突入。めちゃくちゃ虫を見た。蝶々が放し飼いされている温室を息子は虫を無視して(韻を踏みました)全力疾走で駆け抜けていた。リアル蝶々はすこし怖いとのこと。

車に乗るとすぐに大雨。うどん屋でうどんを食べて昼過ぎに帰宅。娘も帰ってきたので、3人でゲームをしたり、古畑任三郎を観るなど。夕方妻が帰宅したのでガストに行った。いつもネコロボが配膳してくれるのに今回は一度も来てくれなくて、様子を伺っているとどうやら小さなお子様がいらっしゃるテーブル優先でネコロボが配膳している様子で納得。

8月15日、終戦の日。穏やかな日常が、どうかこのまま続きますように。武力ではなく対話で、平和と秩序が保たれますように。

今日好き

  • 2025年08月14日
夜寝る前に、今日好きに出演されている時田音々さんと長浜広奈さんのインスタライブを娘と見守った。わたしも娘も長浜さん(通称、おひなさま)のファンなので積極的にリアクションを送った。具体的に言うと、ハートボタンを連打した。

コメントも送ってみよっかという話になり、「(娘の名前)って呼んでください!」とコメントすると、なんとおひなさまが娘の名前を呼んでくださった。わたしと娘の時間が一瞬止まった後、ふたりでギャー!と叫んだ。娘は笑顔を炸裂させており、寝る瞬間までずっと笑顔だった。ずっとおひさなまを応援しようね、という話を何度もした。

おひなさま、その節はお世話になり本当にありがとうございました。できましたら次回、ひろゆきって呼んでください。(←怖)

キムタク

  • 2025年08月06日
Amazonプライムでドラマ「教場」を観てるのですけど、とんでもなくとんでもない。面白い。キムタクかっこよすぎ。

舞台は警察学校で、キムタクが風間という教官を演じている。この風間がもう、生徒たちに対してえげつないほどに怖い。「ちょ、まてよ」なんて絶対に言わない。すぐに「今すぐ警察学校をやめろ」って言うし、右目の義眼でギッと睨みつけるときなんてう、いくらなんでもやめたげて!となる。しかしそれは怖さではなく厳しさであり、その厳しというのも生徒たちの未来を思ってとのことだとだんだん分かってくる。単発のスペシャルドラマ教場1、教場2では警察学校の話を描き、連続ドラマ教場0では警察学校に来る前の話。彼が義眼になった経緯が描かれている。クセありの新米刑事が風間のもとに預けられては現場で厳しく指導し、一人前になれば「今日で指導は終わりだ」と送り出していく。その中で風間のもとに配属された遠野という青年がこれまたええ子で、素質もあって風間もぜったい気に入ってますよね、いいですよね、わたしもこういう青年好きですよ、という流れの中第6話で怒涛の展開。雨の中絶望を噛み殺して犯人ともみ合う風間のシーンでビタビタに泣いた。心のなかでキミチカー!(風間の下の名前)と泣き叫んだ。

そのええ感じの青年、どっかで見たことあるなと思ってたんですけどあれだ、猫がどうたら~っていう歌を歌ってた子だ。北村匠海さん。(いま調べた)

東京

  • 2025年08月03日
5時に家を出て、6時発(始発)の新幹線に乗る。到着予定時間が集合時間ギリギリだったので、乗り換えは全力疾走。おまけに冬スーツ指定だったので、汗だくで9時半頃に東京都某市に到着。某映画のエキストラ。監督から直接演技指導いただく。カチンコがなって1.8秒後に動く。2回目でOK。新米刑事。11時半に撮影終了。

いったん私服に着替えて、小田急線で20分ほど移動。かつて東京出張が多かったとき、時間があれば来ていた鶴川駅へ。前回来たのは2014年10月だった。ごまさば丼をかきこみ、20分ほど歩いて武相荘まで。以前来ていたときと様子が変わっていて、邸宅内に喫茶スペースができており、展示スペースがちんまりしていた。ドーン!と広い邸宅をゆっくり回るのが好きだったけど、致し方ない。これで見納めと、書斎スペースを30分ほどまじまじと眺めた。

あまりに汗をかくので近くのユニクロでTシャツを買って、そこから歩いて5分。畦地梅太郎のアトリエまで。漫画を書き始めたときのひとつの目標として、原稿料でいつか畦地梅太郎の版画を買いたいという夢があった。もうそろそろいいだろうということで、今回買うことにした。30分ほど悩んで、山男シリーズではなく、山の版画を買った。アトリエにいらっしゃったのは畦地梅太郎のお孫さんらしく、かつて茨木に住んでいたんですとのことで盛り上がった。

ホクホクで帰阪。

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「無駄のある家」

鶴川の家を買ったのは、昭和十五年で、移ったのは戦争が始まった直ぐのことであった。

別に疎開の意味はなく、かねてから静かな農村、それも東京からあまり遠くない所に住みたいと思っていた。
現在は町田市になっているが、当時は鶴川村といい、この辺に(少なくともその頃は)ざらにあった極ふつうの農家である。
手放すくらいだからひどく荒れており、それから三十年かけて、少しずつ直し、今もまだ直し続けている。

もともと住居とはそうしたものなので、これでいい、と満足するときはない。
綿密な計画を立てて、設計してみた所で、住んでみれば何かと不自由なことが出て来る。
さりとてあまり便利に、ぬけ目なく作りすぎても、人間が建築に左右されることになり、
生まれつきだらしのない私は、そういう窮屈な生活が嫌いなのである。
俗にいわれるように、田の字に作ってある農家は、その点都合がいい。
いくらでも自由がきくし、いじくり廻せる。
ひと口にいえば、自然の野山のように、無駄が多いのである。

牛が住んでいた土間を、洋間に直して、居間兼応接間にした。
床の間のある座敷が寝室に、隠居部屋が私の書斎に、蚕室が子供部屋に変った。
子供達も大人になり、それぞれ家庭を持ったので、居間では週末に来て、泊まる部屋になっている。
あくまでも、それは今この瞬間のことで、明日はまだどうなるかわからない。
そういうものが家であり、人間であり、人間の生活であるからだが、
原始的な農家は、私の気ままな暮らしを許してくれる。
三十年近くの間、よく堪えてくれたと有がたく思っている。


『思うこと』-白洲正子『縁あって』(青土社)より抜粋

今日好き

  • 2025年07月31日
かわいい後輩のNさんが結石を取り除く手術をした。身体に機械を当てて、そこから衝撃波(?)を出して体内の結石を砕く手術だったそう。衝撃波の強さは最大レベル20で、最初はレベル1から始まり徐々に強くしていくというもので、痛みに耐えられるギリギリのレベルまで上げていった結果、レベル7までいったとのことだった。その途中に機械と身体の間に珍の棒が挟まれるハプニングがあったそうで、医者がそのことに気づいておらずあわや珍の棒にレベル7の衝撃波が打ち込まれるところだった、と話をしてくれた。大変だったろうに、そんなに大切な話を聞かせてくれてありがとうだった。仮に珍の棒にレベル20の衝撃波が打ち込まれたらどうなるんだろうね、えげつない勢いで上下左右に乱舞するのかな、という話をして二人で仕事中に大笑いした。かわいい後輩です。

娘に「今日好き」を観てほしいと何日もプレゼンされて、ついに観始めた。「今日好き」というのは恋愛リアリティー番組で、初対面の高校生たちが3日間かけて運命の人を見つけて告白、OKもらえればカップル成立、みたいな流れのやつ。昔はあいのりに熱狂した世代だけど、今さら子どもたち(高校生)の恋愛なんぞ観て何になるのよと思い薄目で観始めたらもう、最高に良かった。大人と子どもの狭間を生きている人たちの初々しさや輝き、背伸びした会話、涙の美しさ。ジジイになった今だからこそ滲みるものがある。今はもうただひたすらに、第一印象があんまりよくなかった「おうが」という青年に夢中です。仕草がいちいちかっこいい。

「遊歩大全」(コリン・フレッチャー)を読んだ。Barnshelfで買ったもので、バックパッカーのバイブルといわれている名著。ここ一年内に山中泊トレッキングに行く予定をしていて、いろいろと思いを馳せながら読んだ。本を通じて知ったノウハウよりも、ウォーキングを通じたフィールハウ(何を感じたか)を大切にしてほしいというようなことが脚注に小さく書かれていた。この本はこの先何度も読むことになると思う。

「聖なる約束の地は、常にウィルダネスの彼岸にある」(ハブロック・エリス)

「人間は概念の階段を上りつめ、やがて完成の域に到達する」(ジョン・スタインベック)

「ユーモアと知識こそは、文明社会における2つの偉大な力である」(コンラット・ローレンツ)

全快少年

  • 2025年07月25日
息子完全復活。

おねつ

  • 2025年07月24日
息子発熱。妻が7時半に予約をしてくれて、8時半に車で病院まで。予約開始から2秒くらいで予約してくれたのに順番は11番目。番号ヒト桁台の人が予約する瞬間を、一度見てみたい。予約界の高橋名人みたいな人がぜったいにおる。

診察。ウイルス性胃腸炎ではないかとのこと。お薬をもらって、様子を見ましょうという流れ。チョコミントのアイスを買って帰り、息子はアイスを食べて薬を飲んだらパタンと寝てしまった。肩で呼吸をしていて、元気がない。事務仕事をしながらふと目をやると、起きて右手にゴールデンハンマーヘッドシャークのパペットをつけて、空中でパタパタと何かをしていた。

プールから帰ってきた娘と昼ごはん。少しして娘は塾の夏期講習へ。

こないだわたしの務めている会社を辞めたKさんが今は作家として活動しているということを知り、こっそり検索してフォローするとすぐにDMが来た。Kさんはわたしがこのような活動をしていることを実は知っていたようで、そんなん早く言ってよもう。で、何通かやりとり。最後に「お互い楽しく創作活動しましょうね」と送ってきてくれて、しみじみした。イラストをいくつか描いた。

夏させてもろて

  • 2025年07月21日
「普段YOU TUBEを観ているときに出てくる広告は邪魔でしかないけど、学校の授業でみんなでYOU TUBEの教材動画を観るときに出てくる広告は楽しくて嬉しい」と娘が言っている。

とにかく暑い。暑いので市民プール。自転車の荷台に浮き輪を2つくくりつけて、家から10分ほどで着く。なのでわたしも息子も、家で水着とラッシュガードに着替えてエッチラオッチラ。3時間ほど泳いだ。

そのまま自転車でフードコートまで行き、各自好きなものを食べる。アイスクリームも食べる。家に帰って、昼寝。晩御飯はおそうめん。松潤の新しいドラマ「19番目のカルテ」を観る。松潤がとある病院の総合診療医として配属され、患者となんやかんやしていく。脚本が坪田文さんとあって、とても暖かい物語。なのだけど、松潤がとにかく穏やかな喋り口調すぎて逆に恐怖を感じる。いきなり絶叫してビンタしたらどうしようとか、展開的に絶対ありえない心配をしてしまう。

そういえば先日後輩のAさんに勧めてもらって観た医療ドラマ「アンメット」は面白すぎて2日間で全話観てしまった。三瓶先生という天才医師がとても良い。毎話、三瓶!三瓶!と心の中で泣き叫びながら観た。最終回の伏線回収もお見事で、心がキューッとなってきた様々な問題も円満解決、とても気持ちの良い作品。見終わった翌日にAさんのとこに直行して、キャーキャー言い合った。

スーパーマリオワールドは無事クリアしました。

勉強

  • 2025年07月20日
投票は昨日のうちに済ませてある。子らは7月中に夏休みの宿題を終わらせると気張っている。わたしは資格更新の講習を受けに大阪市内まで。夢洲行きの電車に乗る必要があって、車両はギュウギュウ。休日のオフィス街はスッカラカン。連休の中日に勉強なんぞと重い気持ちだったけど、授業は全集中真面目の呼吸で受けた。カウンセリングの演習で面談を何本か。頭を使うし、表情筋も使うので夕方にはヘトヘト。

面談で様々な人の人生を一緒に振り返る。たくさんの生き方があって、たくさんの価値観があって、それぞれの生活がある。

疲れすぎてどうやって帰ったか記憶がない。帰宅後ファミレスに行き、ハンバーグを食べて家族といっぱい話をして一日を取り戻した。本を何冊か買った。

風呂に入って0時頃までNintendoSwitchでスーパーマリオワールド。ステージ5までいった。岩田聡さんの本を読んだときの日記を読み返す。

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宮本さんはもともとインダストリアルデザインに関わってきて人であることから、「機能としての理由」から発想をスタートさせていた。例えば面白かったのが、スーパーマリオワールドで初めて登場したヨッシー。スーパーファミコンはスプライト(画面上に絵を表示するための技術的な仕組みのこと)を横にたくさん並べることができなかった事情があり、マリオと一緒に重なったときに横に並ぶスプライトの数を制限できるからという理由でああいった形になったそう。恐竜のようなキャラクターを登場させようと思ったところから始まったのではなく、機能として許された形が恐竜だった、という話。

自分がなにかにハマっていくときに、なぜハマったかがちゃんとわかると、そのプロセスを別の機会に共感を呼ぶ手法として活かすことができる、とも書かれていた。
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尻の呼吸

  • 2025年07月18日
仕事の後お暇をいただいて、ずうっと楽しみにしていた鬼滅の刃無限城編を観に行く。今日から公開ということもあって、レイトショーなのに満席。映画館の入口からもう異様な熱気だった。待ち時間に読んだのは先日Barnshelfで買った「植草甚一日記」。巻末の解説に触れられている通り、植草甚一の日記には、毎日の出来事が「普通に」描かれている。戦時中ですら「ぜんぜん力こぶが入っていない」。敵軍の爆撃に見舞われ爆風吹きすさぶ中でも映画館は開いていて、わりあい人も入っているようだった。

鬼滅の映画は、かゆいところまで丁寧に映像化してくださってありがとうございます案件だった。伊黒小芭内と甘露寺蜜璃との細かいやり取りや、村田さんという原作では弱虫一辺倒で描かれていた愛すべき人物が水の呼吸を使って鬼を倒すシーンでいろいろ想像して泣いた。ここに至るまでに大変な苦労や葛藤もあったろうに、逃げずによくぞここまで。

ブヒブヒ泣きながら観ている間も名シーンは続く。我妻善逸VS獪岳戦は個人的にとても好きな戦闘シーンだったので体中の水分を持っていかれそうになった。ちょうど今日の昼に会社で面談があって、面談をしてくださった役員の方も鬼滅の刃が好きなので映画の話でワーッとなった。その方は自分は獪岳だと思って生きている、という話をしておられた。

息つく暇もなく猗窩座戦に入り、そこからの回想シーン。ここは原作でも一番好きなくだりなので下唇をクゥーッと噛み締めながら見守った。

全身に力が入っていたのか、映画が終わって駐輪場で自転車に乗ろうとしたときにプゥー?と力のないおならが出た。

完全に尻の呼吸でした。尻の呼吸、壱の型、くっさいおなら。

MIDNIGHT PIZZA CLUB

  • 2025年07月16日
先日の鬼連勤の代休。資格更新の課題をやっつけて、4コマ漫画を2本描いて予約投稿に設定し、さとうわきこ展(神戸ファッション美術館)に行くべく家を出る。あまりも暑すぎて玄関を出た瞬間、家に戻る。レタスと白米をもりもり食べて、本を読んで静かに過ごした。「砂絵縛後日怪談」(野坂昭如)、「1st BLAZE LANGTANG VALLEY」(MIDNIGHT PIZZA CLUB)を読んだ。

「砂絵~」表題作はなんというか、「エロ事師たち」に通じる何かしらを感じる。野坂昭如が怪談を描くとこんなふうになるのですね。

そしてそして、「1st~」これがまた良かった!俳優の仲野太賀、TVディレクターの上出遼平、写真家の阿部裕介による旅サークル「MIDNIGHT PIZZA CLUB」の結成の由来に始まり、ネパールの秘境に挑む3人の姿が、上出さんの痛快な文体と阿部さんのキラッキラに光る写真で描かれてゆく。大の大人が無邪気に旅を行う楽しさというものがギュッと詰め込まれていて、汗臭くて、ときどき下品で、ユーモアがページの隙間からこぼれ落ちてくる。現地で異国の人々とラップバトルを行う仲野太賀のくだりも笑った。そして時々ニュッと登場する伊賀大介のなんともかっこよろしいこと。わたしたちが若い頃にカリスマとして憧れていた伊賀大介が今もなお格好良く生きていることに、勝手に嬉しくなる。本の装丁やら佇まいも、センス抜群。

「台所は良い。余計なことがない。腹を空かせている人のために、肉や野菜が切られたり潰されたり熱を加えられたりして、料理に変わっていく。小さなスペースで行われる数十分間のことだけれど、人間の生の営みが凝縮されている。」

「ただ生きる。生き抜く。命を繋ぐ。それだけで素晴らしい。もちろんそうだと思う。けれど私たちは飽き足らない。一所に腰を据えて、身の回りの喜びだけを丁寧に享受する生き方を、私たちは知らない。だからどうしても、旅に出たくて仕方がない。」

大阪・関西万博

  • 2025年07月11日
会社行事で大阪・関西万博。9時半夢洲駅に集合。灼熱。予約できたパビリオンを2つだけ見ることができた。うちひとつは絶対に行きたかったガンダムのやつなので、相当興奮した。外に出てガンダムの像をパシャパシャ撮影していると、同じグループにいたカップルが「アムロっていう人の声がアンパンマンと一緒やったけど同じ声優なんかな」「そうちゃう」という会話をしていて、ぜんぜん違う人!と思った。いつか真実に気づく日がやってくるのか、それともそんな会話をしたことすら忘れゆくのだろうか。

最後にひとりで大屋根リングに上がってボーッと見下ろしていると人の気配がしたので振り向くとなんと男性が女性にむかって跪いて「ちょっと待って」と言っている。完全にプロポーズするときのやつ。まわりにはわたし以外誰もおらず、この公開プロポーズを見守るのがこんなオッサンでごめん、でもふたりの記録的瞬間をこのまぶたに焼き付けるからねという思いを抱きしめながらチラチラとガン見していたら、なんと!男性は自分の靴の靴紐を結んで「おまたせ」と言い、ふたりはスタスタと歩いていった。

早とちりして大興奮してた恥ずかしいオッサンだけがその場に残された。あの興奮だけで夢洲の気温、2℃くらい上がったと思います。

7月

  • 2025年07月10日
健やかに6月を駆け抜けて、今年も後半戦に突入。太陽が本気を出してきて暑すぎる。日傘を買った。ベランダのプランターで育てているオクラに実がなった。スイカを食べて種を埋めたところから、スイカの芽が出た。会社が忙しくて12連勤中。鋼の連勤術師。息子のクラスでは最近トゥントゥントゥンサフールという様子のおかしい謎の生き物が流行っているらしく、その派生版のようなオリジナル謎生き物シリーズのイラストを描いていた。バンカラチーノとトカラレロワッハという非常に良い名前だった。

父から連絡があり、三田で熊が出たとのこと。

「過去の学生」(前田エマ)を読んだ。痛快なエッセイが並ぶ中、かつてピアノの先生が知らないうちに亡くなっていたことに触れて「死に向かう姿を私に見せなかったのは先生らしいなと思うけど、お別れがないというのは、永遠にからっぽの日々が続いてしまう」とあり、胸がギュッとなる。

ジガルデ

  • 2025年06月29日
日曜日。昼過ぎに家族で外出し、イオンでUFOキャッチャーをしたりガチャガチャに勤しんだりと和やかに過ごした後、夕方になって息子が「ジガルデの顔がなくなった」と深刻な顔で申告。(韻を踏みましたね)

聞くと昨日買ったジガルデパーフェクトフォルム(ポケモン)のフィギュアを一日握りしめて歩いていたのだけど、いつの間にか頭が無くなっていたとのこと。イオンという広大な土地で、ましてこんなに人が多い中、大きさ5mmほどの頭を探すのは無理だろうと、わたしも家族もあきらめる。しかしながらこのフィギュアを買ったときに愛おしそうに箱を抱きしめていたこと、家でひととおりフィギュアを眺めた後に自分の頬をつねって「夢じゃなかった」と呟いていたこと、よほど嬉しかったのか夜にわたしの頭をシャンプーしてくれたこと、そういう記憶が鮮烈すぎて、これを悲しい物語で終わらせるわけにはいかない。わたしと息子で捜索することにした。

いったん車まで戻り、そこから歩いた道を思い出してもらいながら、床を確認してゆく。全集中ガン見の呼吸だった。20分ほど探していよいよ最後にきた店に入り、息子が見たという商品の棚の下をすべて確認してゆく。不安でいっぱいの小さな背中に、胸が締め付けられる。

最後の最後に、ポコンとさみしそうに落ちているジガルデの頭を見つけた。ここに?!という場所にあった。スラムダンクの桜木と流川のような熱いハイタッチをかわす。

帰宅後、ジガルデの頭部は瞬間接着剤で固定しました。

三田

  • 2025年06月26日
三田で仕事。

駅前でレンタカーを借りた場所が小学生のときに通った塾の前だったり、商談相手が三田出身で北摂三田やら三田学園やらの話で盛り上がったりと、なかなかエモい一日だった。商談の始まりは緊張感があったものの、商談部屋に突然ムカデが出現したことにより一瞬にして一体感が生まれた。皆は壁にへばりつくように固まり、わたしは近くにあった袋でムカデをシャッと掴んだ。近くにあった袋でシャッとムカデを掴む経験は実は初めてではなく、それは大学時代のアルバイト先(スーパー銭湯)にムカデが出たときぶり2度目。

仕事の後にBarnshelfまで。小前さんの近況を聞いたり、山の話をしたり。ピャッと買い物ををして、ピャッと電車に乗って大阪に帰った。

「なぜ花は匂うか」(牧野富太郎)を読んだ。植物を愛し、「植物と心中を遂げる」とまで言うほどに研究に没頭する彼の情熱に感服するしかない。まあ専門的な内容も多かったけど、果実についての記載はホホホとなった。みかんは果実の中の毛を、バナナは果実の中の内皮を、栗は種子を、桃は果皮を、梨やりんごは花弁を、いちごは茎の末端を、我々は食らっているとのこと。

寺田寅彦の「落ちざまに虻を伏せたる椿かな」という句を植物学者の目線で痛烈なおディスをかましてみせたり、椿愛が強すぎるあまり山一面を椿で埋めてしまいたいと言ったりと、なかなかキレッキレ。

にっちょび

  • 2025年06月22日
少し前に息子が学校で事件があったと教えてくれた。教室で買っているちょうちょの幼虫のうち1匹がサナギになっていて、最近そのサナギの背中にもう1匹の幼虫がくっついてサナギになってしまった、というもの。それは少し穏やかでないねと思いながら聞いていたら、無事2匹とも孵化して巣立っていったそう。そういえば我が家のヤゴも2匹のうち1匹が巣立っていった。巣立ちの季節。

元同僚たちと、実に10年ぶりの再会。心斎橋のイタリアンビュッフェにて。よく食べて、喋って喋って喋り倒した。20代の頃にお互い仕事で大変な思いをしながら日々を乗り越えてきた仲間だけあって、10年の歳月などお構いなしで息もぴったり。会えてよかった。

「乱読のセレンディピティ」(外山滋比古)、「怪談小説という名の小説怪談」(澤村伊智)を読んだ。

「乱読の〜」より、「本を読んでものを知り、賢くなったように見えても、本当の人間力がそなわっていないことが多い。(中略)知識は、化石みたいなもの。それに対して、思考は生きている。」ま・じ・で!本をたくさん読んだりなんやかんや知識を蓄えていくと、何かを成した気持ちになってしまいがちだけど、ただただ知識メタボになってしまっているだけのことが多い。そこんとこ気をつけなはれやということです。

「怪談小説〜」は澤村さんが2017年〜2022年に発表した短編7篇が収録されている。ひとつひとつが短いのに、しっかり怖い。「高速怪談」と「怪談怪談」が特にオソロ・シーヤだった。

豊国崎オートキャンプ場

  • 2025年06月21日
8時半から毎春恒例の胃カメラ。年によってスーッと鼻に入っていく年とやたら難儀する年とあるけれど、今年は過去最高のスーッだった。だいぶ余裕もあったので、最初から最後までカメラの映像を見た。いつも頑張ってくれている胃に感謝をしながら、見守った。

それが終わったらスーパーで買い出しをして、布団を干したり掃除機ガーガーなどをして、岬町まで車をぶっ飛ばす。自宅から約100km、1時間半くらい。13時に豊国崎オートキャンプ場にチェックイン。30分ほどで設営を終えて、コカコーラをガブガブ飲んだり、オレオレグラスで水笛演奏に励んだりと、まったり過ごした。晩御飯はファミチキ炊き込みご飯と焚き火茶碗蒸し、自宅のプランターで採れたお野菜などなど。ファミチキ炊き込みご飯は「でしょうね」という感じの味だった。(ごはんにファミチキを混ぜた味)

茶碗蒸しは、最高のお味。

気温が高かったこともあり、テントはオープンにしてメッシュテントで寝た。夜は海の風がボウボウ吹いていて、TMレボリューション睡眠だった。

朝は5時半に起きて、海辺を散歩。猫やらカニやら、いろんな生き物がそれぞれの新しい朝を迎えていた。

朝ごはんはコーヒーと昨日の残りのおにぎりを2つ食べて、7時から撤収作業。7時45分にはキャンプ場をチェックアウトして9時半頃に帰宅。







SHIZUOKA

  • 2025年06月09日
朝5時半出発、片道約350km。沼津目指して高速をぶっ飛ばし。(法定速度で)

サービスエリア2箇所で休憩を挟み、11時過ぎに沼津に到着した。いつか家族で行きたいねとずっと話していた沼津港深海水族館へ。冷凍のシーラカンスをはじめ、珍しいお魚をたくさん鑑賞した。個人的には「コンペイトウ」と「アバチャン」が名前よすぎ魚だった。ミュージアムショップにて息子はおみやげを決めきれず、結局何も買わずで悲しい表情のまま水族館を出た。

周辺で食べ歩きをして、息子は金目鯛のくじ引き(ぬいぐるみが絶対当たる、みんなが笑顔になるやつ)をやってにこにこだった。笑顔が戻った、良かった、と息子以外の全員が思った。そのまま富士山を拝みに三島スカイウォークまで。大吊橋では恐怖に怯え、アイスクリームを食べる。富士山は雲がかかっていて、てっぺん付近だけかろうじて見えた。

お宿に移動し、温泉に入ったり卓球をしたりやいやいと過ごす。21時頃就寝。

翌日は宿から1時間ほど車を走らせ、静岡市にあるTAMIYA本社の会社見学。歴史ミュージアムでは初期の希少なプラモデルや歴代ミニ四駆など展示に圧倒され、ショールームには実車もあったりと全体的に心拍数が上がる内容だった。館内のショップにて、たっぷりとお土産を購入。完全にわたしの趣味に付き合ってもらった形だけれど、子どもたちもとても楽しんでくれたようだった。

帰りは小刻みに休憩を挟みつつ、17時過ぎに帰宅。





土曜参観

  • 2025年06月07日
土曜参観、からの引き渡し訓練。

息子のクラスに行くと、教室のうしろにいろんな日常の写真が貼ってあり、その下に標語のようなものが書かれていた。息子がビッと背筋を伸ばして勉強をしている写真には「チョウのようにうつくしく」と書かれている。彼のことをチョウのようにうつくしいかどうかという目線で見たことがなかったので、改めて授業中の息子を見ると確かにチョウのようにうつくしい気がした。図工の授業で、チョウのようにうつくしい人は黄金色のマッコウクジラをこさえていた。

娘の授業は道徳。親友に犯罪者の疑いが囁かれているとき、果たしてきみたちはどう立ち振る舞うべきか。真の友情とはなにか。

ブラインシュリンプ

  • 2025年06月05日
ヤゴの名前がいつのまにか、ガオンとレオンに変わっていた。

ガオンとレオンの食事をどうしましょうという話になり、一番いいのは赤虫らしいけどちょっと抵抗があって、いろいろ調べた結果ブラインシュリンプ(塩水えび)がいいのではと、Amazonで手配。これをふ化させて(水に入れて24時間でふ化する)、ヤゴに与えてみることに。ふ化したブラインシュリンプはとても小さくて、あまりにも小さすぎて(0.5mmくらい)これはガオンたちの食事にはならないのではとなり結局、赤虫を手配した。

こうなるとブラインシュリンプも共に暮らしていく必要がある。小麦粉やきな粉を食べるらしく、一か月ほどで8mm~1.5cmの大きさになるらしい。カニ・ヤゴ・ブラインシュリンプのお世話に忙しくなってきた。

ちなみにブラインシュリンプの卵はちっこい箱に入ってたのですが、これには265万個の卵が入っているそうです。

全部ふ化させたら京都府の人口(約260万人)超えます。
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