生活について

ベスト・エッセイ

「向田邦子ベスト・エッセイ」(向田和子編)を読んだ。向田邦子のエッセイは食べ物にまつわるものが好きだ。

「ごはん」というエッセイにこんなくだりがある。戦時中の話で、爆撃が街を襲った翌日の話。

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 父は、この分でゆくと次は必ずやられる。最後にうまいものを食べて死のうじゃないかといい出した。
 母は取っておきの白米を釜いっぱいに炊き上げた。私は埋めてあったさつまいもを掘り出し、これも取っておきのうどん粉と胡麻油で、精進揚をこしらえた。格別の闇ルートのない庶民には、これでも魂の飛ぶようなご馳走だった。
 昨夜の名残りで、ドロドロに汚れた畳の上にうすべりを敷き、泥人形のようなおやこ五人が車座になって食べた。あたりには、昨夜の余燼がくすぶっていた。

(中略)

 母はひどく笑い上戸になっていたし、日頃は怒りっぽい父が妙にやさしかった。
「もっと食べろ。まだ食べられるだろ」
 おなかいっぱい食べてから、おやこ五人が河岸のマグロのようにならんで昼寝をした。畳の目には泥がしみ込み、藺草が切れてささくれ立っていた。そっと起き出して雑巾で拭こうとする母を、父は低い声で叱った。
「掃除なんかよせ。お前も寝ろ」
 父は泣いているように見えた。

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続いて、「字のない葉書」というエッセイ。小学一年生の妹が単身で疎開することになり、父が自分宛ての住所を書いた葉書を山のように渡すくだりがある。字の書けない娘に「元気な日はマルを書いて毎日投函しなさい」と伝える。最初は葉書にはみ出さんばかりの大きなマルを書いた葉書が届くも、徐々にマルが小さくなり、とうとうバツが書かれた葉書が届く。
三ヶ月が立ち、疎開を終えてとぼとぼと帰ってきた娘を抱き、声を上げて父が泣いていていたというもの。切なくてやるせなくて、涙が出る。戦争のことはたくさん学んできたつもりだけど、こういうエピソードには胸がえぐられる。

ちょうどこないだ家族で晩ごはんを食べている時にシュシュが「へいわってなに?」と突然聞いてきた。自分も含めて平和が当たり前な世代のわたし達には、真の意味を理解できているようで実はできていない。この時も咄嗟には返答できず、「事件がないってことかな」と答えた。

どうか子ども達にとって平和な世の中が、続きますように。
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