生活について

「にがにが日記」(岸政彦)を読んで

「にがにが日記」(岸政彦)を読んだ。

おもしれー社会学者である岸先生の日記。おさい先生とのやりとりや猫のきなこ・おはぎとのやりとりが愛おしい。

「おはぎはよく喋り、よく笑い、よく鳴く。歌っているかのようである。
抱き上げて声をチューナーにあててみた。ぴったりCだったのでびびった。抱き上げたときのおはぎの声は、ドです。」

ところどころンフフと笑いながら一気に読んだ。

だったんだけど。だけどだけど。巻末のおはぎ日記はとにかく悲しくて、やるせなくて、涙がダバダバ流れた。22年間生活を共にした家族である愛猫のおはぎの、認知症にはじまり、やがて生命が果てるまでの様を、果てしない愛をこめて書き綴られている。

本を読んだ流れでどうしても、かつて自分の家族であったラブラドールレトリバーのレオのことを思い出してしまう。
命が果てる前夜の記憶がフラッシュバックする。

全身が病気でボロボロになって食事も取れずその日から水も飲めなくなってしまって、痛みでもう座ることも寝転ぶこともできなくなっていて。立ったままウトウトしはじめて。あれはもう日付が変わる頃だったと思うけど、わたしが抱きかかえてやると安心したようにスーと眠って。顔を首元にギューと押し付けて、祈りながら抱きしめて。だけど大型犬なもので体重もそこそこあって、だんだん自分の腕がしびれてしまって、ああ、もう腕がちぎれそう、でもここで手を離したら起きてしまう、手を離すとそのままもう二度と会えなくなるんじゃないかとか、いろいろ考えているうちに涙がぼろぼろと止まらなくなって。そのまま泣いていると、レオがいつの間にか起きてわたしの顔を見ていたんだった。白く濁った瞳には月の光が反射していて、その後しばらくボーッとふたりで月を見て、いつの間にか朝を迎えて。そのまま「行っていくるわな」って言って仕事に行って。ドアが閉まる最後までレオはわたしのことをジーっと見ていて。その昼過ぎに母から連絡があって。「あかんかったわ」って。会社を飛び出して。家に帰って玄関のドアを開けたらそこに寝ていて。なんなん。寝てるだけちゃうん、なあ、起きろよ、散歩行こう、なあなあ、って。でも身体を触ると固くて冷たくて。ああ、あかんやん、って。

そこからは涙も出なくて、かつて彼が元気なときに寝ていた場所の床板を剥がしてのこぎりで切ってトンカチやって、木の棺桶をつくって。淡々とお見送りの準備をして。翌日、家族で火葬場に行って。火葬場までの道はくねくねしていて、カーブを曲がる度に棺桶に入れたりんごがころころ転がる音が聞こえて。りんごの音がするねって笑って。

天気がよくて。天気がいい日でよかったねって言って。

火葬の準備が整うまで休憩所でアイスコーヒーを飲んで。大変な犬だったねって笑いながら話をして。

じゃあ、今から火をつけますねって言われて。よろしくお願いしますって言って。

火がついた途端、魂が抜けるかと思うほどに涙が出て。泣きながら、ありがとう、さようならって言って。

そこからもう15年以上経つけれど、似ている犬を街中で見かけるだけで、毎回あの夜に戻ってしまう。

生きていくということは、大切な人たちの死を受け入れていくことなんだろうけれど、なかなかに難しい。楽しいことをいっぱいやって、なんとかごまかしごまかし生きている。
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